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プロフィール

小林かなこ
プロフィール

昭和52年4月12日

山形県鶴岡市湯田川(藤沢)生まれ

  • ・空手をしていた父に連れられ、道場に見学に行ったのがきっかけで7歳から空手を始めました。
    4人姉弟の長女で、毎日実家の裏山と田んぼを走り回る活発な幼少期を過ごしました。
平成元年3月

鶴岡市立湯田川小学校卒業

  • ・湯田川小学校は平成26年4月に統廃合され、136年の歴史に幕を閉じ閉校。作家の藤沢周平氏が唯一教鞭をとったのが、ここ湯田川中学校(当時は小学校と併設)でした。
  • ・下左の写真は、平成27年8月に帰省した時に撮影したもの。懐かしい思い出が走馬灯のようにかけめぐります!下右の写真は、バスケットボールチームのもので、ミニバスケットは出る大会ほぼ優勝の強豪チームでした。
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平成5年3月

鶴岡市立第四中学校卒業

  • ・中学3年生の時に生徒会役員に立候補し、議長に就任。体育祭では女子としてただ1人、男子に混ざって応援団長として袴をはいて声を張り上げていました。
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平成8年3月

学校法人羽黒学園羽黒高等学校(普通科国際コース)卒業

  • ・高校時代に1年間コロラド州デンバーにあるJohn・F・Kennedy High Schoolに留学。
    日本人は私1人という環境から、日本について色々質問されてもさっぱり答えられず、母国のことを知らなさすぎる自分に落胆。英語だけでなく母国日本のことももっと学ぼうと決心する大きな転機となりました。
  • ・下の写真は、留学先での課外授業と、NYにあるUNIS(United Nations InternationalSchool)での世界学生会議に日本代表として参加した時のものです。
    ここでももっと日本のことを学ぼうと決心しました。
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平成12年3月

筑波大学日本語日本文化学類卒業

  • ・留学時の決意から筑波大学へ進学。日本語と日本文化について幅広く学び、日本の素晴らしさを海外に広めようと日本語教師を目指しました。日本語と一緒に海外でも空手を教えられるようにと、4年間空手道部に所属。副主将として後輩の指導にあたりました。
  • ・下の写真は、2年間アルバイトをしていた保育所でのもの。お別れ会では道着を着て、子供たちと記念にパチリ。
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平成12年8月

独立行政法人国際交流基金日米センターのJALEXプログラムで、米国インディアナ州の公立高校へ日本語教師助手として渡米。2つの高校を掛け持ちで教えながら、近隣の小中学校でも日本について紹介していました。

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  • ・また、顧問をしていた日本語クラブが、Japan Bowl(日本語学習者のための全米クイズ選手権)で全米初優勝!副賞としてチーム全員に日本旅行が授与されました。
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平成14年9月

米国の教育団体 The Laurasian Institution(ローラシアン協会)の東京事務所(下目黒)に勤務。
主に日本とアメリカの留学指導を担当。

  • ・平成24年には、外務省東日本大震災キズナ強化プロジェクト米国派遣事業担当責任者を務め、被災地の高校生をアメリカへ派遣。また、アメリカの高校生を被災地に派遣することで復興の様子を学ぶプログラムをサポートしました。外務省のプログラムを担当しながら、政治に対して興味が湧くようになりました。
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平成25年4月

宮内秀樹衆議院議員の秘書となる

  • ・国会事務所で秘書をしながら、平成26年にはTOKYO自民党政経塾第9期生として1年間政経塾に通いました。ここでは政治を志す仲間達と出会え、また、大臣達や国会議員の先生方から政治の最前線を学びました。
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平成27年4月

目黒区議会議員初当選 現在に至る

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所属

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日本空手協会目黒支部指導員

三段・現役選手。平成22年(公社)日本空手協会東京都大会一般女子形の部優勝、平成25年同大会一般女子組手の部準優勝。目黒区で指導に携わり、教え子は平成26年度世界大会チャンピオンになりました!

目黒消防団第8分団

平成28年目黒消防団ポンプ操法大会に選手として初めて出場し見事優勝しました!

東京青年会議所目黒区委員会・委員長

東京都倫理法人会・青年委員会副委員長

目黒区倫理法人会幹事

日本会議世田谷目黒支部役員 ほか

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